選挙の顛末

 私の今の関心事はマラソンである。申し訳ないが、選挙でも経済問題でも、この国の将来でもなかった。1年程前に、五十肩のリハビリに家の周辺をジョギングし始めたことがきっかけで、ロードを走る楽しみを見つけた。昨今は市民マラソンブームである。多くの大会が開催されている。最初は数人の仲間と4キロほどを分担して走る駅伝に誘われ、その後10キロ、ハーフレースと階段を上り、年末にはフルマラソンに初挑戦し完走した。前日は未知の42.195キロに対し、不安と期待が錯綜し全く眠れなかったが、走り終わった後の開放感と達成感はえもいわれぬものがあった。練習は裏切らないの例えどおり、日々の単調で地道な努力と練習が報われた一瞬であった。一度も歩かず42キロを走りきったのだと実感できたときの喜びは例えようがなく後半の人生への秘かな自信さえ湧き上がってきた。しかしマラソンが今回のテーマではない。そんな至福の時をすごしていた私を日常に引き戻したのは1本の電話であった。
 電話の主は、私が後見人をしている50代の男性である。彼曰く「選挙の公示の後、突然医師に後見人のいる人には選挙権がないといわれた。20歳以上の日本人には必ず選挙権があるはず。私に選挙権がないのは不当なルールだ。抗議する。貴方も司法書士としてプロテストしてほしい。今回の選挙は仕方がないとしても、『断固不当』との文句をいれとおく。」との内容であった。私は「あっ、とうとう被害者をつくってしまった」と思わず臍を噛んだ。今まで対応してきた被後見人は、たまたま選挙や社会問題に興味のない人や政治的判断能力のない人が多かったから顕在化しなったが、被後見人も様々で社会性や政治的関心の高い人もいるのである。全てを同一には扱えないはずだ。そもそも創設当初から選挙権については問題視されていたのだ。成年後見制度は様々な事情で能力にハンデイを持つ方に支援者をつけて本人の権利を擁護する制度なのに、権利を擁護しようとして選挙権を失わせてしまうのは矛盾ではないか、と。       
 思うにこれは、成年後見制度がそもそも財産管理について考えられたものであり、正常な財産上の行為をなす精神能力を欠く場合に本人及び取引の相手方の利益を保護するために、障害者や高齢者の支援を明記したとの趣旨に関係する問題である。つまり現代資本主義社会にとって最も関心があったのは財産法秩序であり、そこには参政権・選挙権に繋がる障害者、高齢者自身の社会参加、政治参加の理念への理解が希薄だったといわざるを得ない。だからこそ当時の成年後見法制に連なる改正の一つである公職選挙法も欠格事由である「禁治産者」を単純に[被後見人」と置き換えたに過ぎなかったのである。じっくり考えれば財産管理能力と、選挙権(国の政治に参加する権利、主権者としての要求を行う権利)は次元のことなるものであり前者が不足するからと言って、後者の権利が制限されるものではないのは自明である。この点の公選法は十分な検討や審議もないまま制定されてからはや10年以上経過しており、種々の改正論議や訴訟問題まで起きているのであるから、早くきめ細かな対応の道筋をつけなければならない。
私の被後見人の場合元々知能も高く、ある程度自立性もあった。大学在学中に統合失調症を発症したため社会にはでず、親に依存してきたが、入院するほど重篤でなかったことや裕福だったこともあり親の庇護で自由気ままに在宅生活を続けてきた。が、親が高齢となり施設に入ってしまい彼ひとりの生活となると、経済観念がないのが露呈し、家計は破綻した。そのため後見制度の導入となったのであるが、元来パソコンを駆使し自分なりの宇宙観(それはやはり病的な部分もあるが、社会に迷惑を欠けるものではない)で社会と交信しており、経済行為もある程度自分で行える。但し金銭費消の歯止めが利かないのと、経済的詐欺行為にあう危険などを防ぎきれないので後見制度が必要なのだが、精神生活上彼の能力で享受できる、権利自由は人間である限り保証されるべきものである。私は彼と真摯に話し合った。「私もこの問題は制度の欠陥だと思うので機会あるごとに抗議していきたい。これまでもそう思って発言してきたが、今後は尚一層その思いを強くした」と。彼は納得したのか否か、不承不承電話を置いた。最後まで静かな語り口が私の心を物悲しくさせた。
 そんな訳で2012の衆議院総選挙は後味の悪いものであったが、後味の悪さには別の意味も加わった。景気浮揚、経済問題が優先課題となり(それはそれで重要ではあるが)、元の木阿弥のような旧態依然の状態が再現されたが、果たしてこれでよかったのであろうか。3年程前日本憲政史上久し振りの政権交代が実現され、同一政権のひずみ・ゆがみ・官僚依存の不透明政治を払拭すべく動き始めたばかりなのに、4年も待たずして逆戻り。確かに某政党の迷走ぶりは目を覆うものがあったが、リーマンショックの傷跡深く、未曾有の大震災の影響下で、何より初めての政権運営を始動したところで、初めから大きな成果など期待できたのだろうか。大きなこと、正しいことをやり始めるには時間がかかるのであり、政権交代を軌道に乗せるには何より国民の大きな辛抱が必要なはずであった。一旦舵取りを任せたのであればいくらかの失敗は辛抱して、大局観で、苦しい時を辛抱する度量が必要ではなかったのか。
 さらに、未曾有の大震災を期に、露見した原発問題は将来の人類、子孫にまで影響を及ぼす大問題であることが判明したにもかかわらず、どうして今回の選挙で、『原発NO』と高らかに宣言できなかったのであろうか。原発事故のないドイツがNOといっているのに、世界で唯一の被爆国であり、大原発事故を起こした国である日本がどうして、『原発NO』を決められなかったのか、禍根を残した選挙ではなかったのか。日本人は、選挙権問題にしろ、実際の選挙にしろ、どうしていつも経済優先なのか。かくいう私も、ぬるま湯にどっぷり浸かった日本国民の一人であることに間違いはないのであるが・・・・。(「法学セミナー」 2013年3月号 より一部転載)

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