小説 成年後見物語(1)

 立春が過ぎても、北国の春はまだ遠い。むしろ、札幌では二月こそ厳寒本番である。幾度となく爆弾低気圧が襲ってきて大雪を降らせたり、強風を吹き散らして人々を雪の中に閉じ込める。
 しかし、北国の人々は辛抱強く逞しい。一夜のうちに積雪2〜30センチなんていうのはざらで、朝になると平気な顔をして出勤していく。玄関前の歩道は雪の壁で歩行困難、車道もまだ除雪車が間に合わず、普段の半分位の幅しかない、そんな道なき道をまるで忍びの術の心得でもあるかのように、行き交う車とも微妙に譲り合ってスイスイと歩いていくのである。


 清美はそんな人の往来を窓から眺めながら、今日の予定を頭に入れている。須田清美53歳、職業司法書士、家族は夫と小型犬一匹。50歳を過ぎて、仕事のやり方にも少しゆとりを持ちたいと考えている。しかし、そんな思惑にお構いなく、日常は忙しく流れていく、容赦なく・・・・。周囲の同世代には、働きすぎで脳溢血、ご他聞にもれずがん年齢の入院、仕事の燃え尽き症候群などの話は枚挙に暇がない。清美は仕事のセーブを真剣に考えなければならないと思っている・・・・。
 今日は、午前中にH病院へ行って、午後から調停、そのあと裁判所へ出す報告書を作ろうと・・・・。


 三十代半ばから事務所を開いて何とかやってきた。アッという間との感じもするが、よくもまあいろいろやってきたものだという感慨もある。司法書士といえば、昔は登記が専門の職種であったが、いまや債務整理、破算手続、小規模の裁判訴訟、成年後見業務、更に中には、生活保護支援にかかわるグループもありかなり幅広い業務内容となっている。須田も、登記は勿論、債務整理や過払い訴訟も手がけ、数年前からは家事調停(離婚、遺産分割事件等)委員も努めているが、なんと言っても専門といえば「成年後見」ということになる。これは司法書士としてもかなり特徴ある専門分野を持っているといえる。
 成年後見とは端的に言うと、成年で判断能力が衰え、社会的、法律的生活に支障を来たした人の財産管理、生活支援を行うものである。裁判所から成年後見人に選任される場合もあるし、本人との契約で就任する場合もある。例えば、身内に認知症の人がいて、その人の財産の管理が必要となった場合(不動産を売却して介護のための費用に当てる等)、多くは親族の誰かがその世話をすることになるであろう。しかし最近は適当な身内が見つからない場合も多いのである。身寄りがない人や、親族が大勢いても、互いに利害対立があって適正な財産管理が期待できないような場合、裁判所は法律や福祉の専門家の中から後見業務に詳しい人をいわば職業的後見人として任命するのである。


 清美はこれまで認知症高齢者、知的障害者、精神障害者の後見人を数多く手がけている。一番心がけているのは、本人の気持ちを察するということである。形式的に財産を管理して保全するだけでなく、ものが言えない、意思を表現できなくなったご本人が本当に望んでいることは何なのかをできるだけわかろうとすることである。無論限界は多々ある。しかしできる範囲で、本人にとって必要なお金の使い方を工夫することが大切であると考えている。


 例えばAさんの場合、認知症となり判断能力がなくなっていたのに自宅にいろんな業者が入り込んで数多くの商品を買わされていた。全く着ることのなかった高級呉服とか、宝飾品等。または住宅の床下、屋根、壁、水周り等のリフォーム工事を不必要に何回でも契約させられていた。いわゆる詐欺商法にひっかかり多額の債務をかかえていた。Bさんの場合は統合失調症で、長期入院中であったが、資産があり、自宅に戻りたいとの強い願望があった。本人の病状の回復も時間がかかったが、後見業務としてゴミ屋敷であったBさんの自宅の修理工事も大変なものだった。少しずつ時間をかけながら、いろいろのことを調整して、最終的に介護ヘルパーをつけながらBさんの一時帰宅ができるまでにこぎつけた時は、われながら良くやったと思えたものである。Cさんは精神疾患で長期入院中、但し症状も好転し社会復帰も可能な状態となっていたが身内がいないため退院できない状態であった。これも後見人が就いたことで社会復帰が可能となった事例であった。先のAさんについては少し物語をしたいと思う。


 Aさん(57歳)は長い間父親と二人暮らしだったようだ。自宅や預貯金を見ると彼女の老後資金ぐらいは十分余力があるぐらい残っている。資産はあるにもかかわらず、父親の生存中はかなりつつましい生活のようであった。厳格な父親で、娘への虐待も疑われるようなふしがある。その父親が亡くなり彼女は自由を得、財産を引き継いだ。自分の好みでいろいろな品々を購入し自由を満喫した時期もあったようだ。しかし、そんな時期も長くは続かず彼女の精神は次第に判断能力を衰えさせていったのである。彼女は養女であったが、実母は精神疾患であったとの話もあった。清美が後見人となったとき彼女は大きな自宅を持っていたが、食事もろくにできない状態で、近くの民生委員の人に助けられ、地区の社会福祉協議会の相談員による保護が始まったばかりの頃であった。一人で放っておくと徘徊して帰宅できなくなり、冬には生命の危険も在りうる状態であった。その時はほどなく、社会福祉協議会のDさんの奔走で何とか老健センターのショート・ステイを利用し身柄を保護してもらった。その後は永続的に彼女の衣食住を保護管理してもらう施設を探すことになった。更に清美は彼女の買物、契約の見直し作業を行った。多くは、ものは既になくローンだけが残っているしろものであったが、中には買物の商品とローンがともに残っていているものについては、物品を返還して支払を取りやめる交渉をしていった。ローンだけが残っているものについても法外な金利を圧縮して、債務を整理していった。払うべきものは払い、払わなくていいものは払わず,整理して結果的に保護管理していく財産は少なからず確保できたのである。現在彼女は、病院を併設する介護施設で静かに暮らしている。


 清美は後見業務を通して、いろいろの人の人生を垣間見る。それはほんの少しの断面であっても、そこには人生のドラマがほとばしり、悲しみもみえる。Aさんの場合、不幸な少女時代、父親との暗い生活、ほんのひと時自由を謳歌した時、そして優しく言葉巧みに近寄り、お金を騙し取っていこうとした人とのかかわり。それでも判断の分別を失っていた彼女はだまされているのも知らず幸せだったかの知れないと思うと、今後は、適正に財産を管理し不安のない老後を心静かに送らせてあげることが何よりではないかと思う。
 後見人は仕事をして、その本人から感謝されることは少ない。本人はそのことを理解できないのであるから仕方がないことである。しかし須田はそれだからこそ、人知れず人の役にたっているかも知れないと思えるこの仕事がいとしくなる。


 今日もそんなわけで、病院へ行って患者の家族に成年後見の説明をすることになっている。患者は93歳の女性で、家族は86歳と80歳の妹である。統合失調症で昭和29年からこの病院に入院しているという。発病以前は、結婚していて、子どもも四人いたそうであるが、いつの間にか離婚されており、50年近く婚家からの連絡は全くないという。病院としては,障害年金の蓄積による多少の預金があり、今までのところ連絡家族として病院に見舞いに来ていた妹たちも高齢なので、この時点で後見人をつけて預金管理をしてもらいたいという要請である。長期入院の患者のケースでは年金がたまってそれなりの財産となっているものがある。そして、相続が発生すると、それまで全く音信のなかった相続人が現れることになり、それまで本人の世話にかかわってきた人の苦労や負担をないがしろにした形で財産の承継がされることがあるのである。病院としては、人の心にかなった相続処理を望んでいる節がある。後見人が付いたことでどれくらいのことができるかわからないが、法律に則りながら、実のある手続ができればと清美は思う。
 

 妹さんらや、病院のソーシャルワーカー、主治医を交えた懇談のあと、妹さんとともに、本人の病室へ赴く。精神科の閉鎖病棟はエレベーターを二つ乗りついで、鍵のかかった重い扉のむこうにある。清美は何度もこの扉をくぐっているがその度に心に緊張が走る。そこに住む人々の様々な人生が、重い扉を更に重く感じさせているように思えるからである。
 明るい日差しが満ちる病室では、年老いた姉妹が、ひと時の再会に涙をにじませていた。心の病に冒されても人間の心は、優しい情愛を感じるのだ。この姉妹はこれまでの長い年月の中でどの位、このようなかかわりをもち、心を通わせてきたのだろう。知らぬ間に離婚させられ、子どもともなんの交流なしに生きてきた姉を不憫に思い、この妹たちは幾度涙してきたのだろうか。又ひとつ人生が垣間見えた。清美は時に押しつぶされそうな感じをもつこともある・・・・・・。


 仕事を終えた須田清美のささやかな楽しみは愛犬との散歩である。二年前の冬、夫がいきなり生まれて3ヶ月の雄のシーズー犬を家につれてきた時、清美はいい顔をしなかった。ペットを飼うことになれていなかったし、新築したばかりの家が汚れるのを心配したのである。しかし、今は夫に感謝している。癒されるのである。犬のかわいいしぐさや、生き物との交流が、仕事に忙殺され、とげとげしく毛羽立った気持ちをほぐしてくれるのである。一面雪原の広い公園内に、踏み固められた、人が一人通れるくらいの一本道。夫にリードを引かれて歩いている愛犬が、時々、後ろを歩く清美を振り返る。見返り美人よろしく、何度も何度も。その振り返った顔を見るとホッと一息清美の顔もほころぶのである。真っ白の只々銀世界の中をひたすら歩く。枯れ木に雪の花が咲き、犬が楽しそうに転げまわっている。こんなことに癒されて再び仕事への活力を補充していくのである。清美の目下の望みは、もうひとつ土いじりの趣味を増やすことである、猫の額ほどの箱庭のガーデニング。春になったら始めたいものである・・・。


     雪原に踏みしめ音のほかになし
     木華咲き忘れ雪の贈り物

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