調停の有効利用十か条

 家庭裁判所というところは人生の悩みの坩堝(るつぼ)である。日々多くの人が、いちるの望みとか、なにかの手がかりを探しにやってくる。しかし、そこで光明を見つけたり、解決の糸口を発見できる否かは他人の助けを待っていてはできない。肝心なのは本人の気持ち、心がけ次第なのである。そんな思いを以下の十か条にまとめてみた。


一. 調停は裁判ではない。
二. 調停の主役(決定権者)は当事者本人である。
三. 調停費用は安い。
四. 調停は手続が簡便。
五. じっくり構えよう。急いては事を仕損じる。
六. 法的手法を学ぼう。
七. 限界を知ること。聞く耳をもとう。
八. 自分も譲歩し、相手の譲歩を引き出す。
九. 調停委員を味方につけよう。
十. 勝った、負けたではなく互いに幸せになろう!



1.調停は裁判ではない。

 調停はいきなり、期日の通知がきて、いかめしい裁判所に一方的に呼び出される。これだけで、普通の人は参ってしまう。しかし、調停ははっきり言って、裁判ではないので、黙って欠席しても不利益(欠席裁判のような判決)を受けることはない。ただし、後述するように、有効利用すればとても有利なのだから、使いみちがあるなら使わない手はないのだ。


2.調停の主役(決定権者)は当事者本人である。

 調停室には調停委員がおり、時に裁判官、書記官等が出入りし更には、調査官も顔を出すことがある。しかしなんと言っても、当然ながら調停の主役は当事者本人である。調停調書に記載される条項は、裁判官が決めるのではなく、当事者間の合意に基づく内容である。調停は、当事者同士では結論が出ない話し合いを仲介して、話し合いをスムーズに進行させる手立てを提供するものである。


3.調停費用は安い。

 調停の申立て費用は、通常1件につき、1,200円である。他に関係者への通知用の郵便切手の実費等も必要ではあるが、それにしても裁判所の法的手続きをこのような費用で利用できるのである。例えば離婚等の法的手続きのノウハウや、金銭的請求の相場、更には必要があれば裁判官の話も聞けるかもしれない。調停は自分一人でもできるので、弁護士をつけなければ、当然弁護士費用もかからない。


4.調停は手続が簡便。

 家事事件の申立は通常、書面によるが、それは、一般の訴状のような厳格な要件はない。大まかにいえば氏名と住所、申立の趣旨と事件の実情の記載があればよい。例えば離婚であれば、裁判所に定型申立書があり、趣旨や実情については穴埋め、選択式になっていて、参考書式も無料交付されるので、受付の家事相談を受けながら夫婦関係調停の申立書、及び付票を作成することができてしまうのである。


5.じっくり構えよう。急いては事を仕損じる。

 調停は時間がかかる。申立から、第1回期日までおよそ1ヵ月、その後も継続するなら、だいたい1ヵ月間隔で期日が開かれていく。期日間に調査等が入れば、その間隔は更に伸びるし、関係者の日程調整が合わないと、ずれることもある。スピードを要求される時代感覚にはあわないし、緊急性が必要な場合は適さないこともある。しかし半面、争いごとや精神的悩みは、時間をかけて考えることも必要である。わざと時間をおいたため執着していたことを諦めて、かえって道が開けることも往々にしてあるのである。離婚調停では、最初絶対離婚には応じないと強行だった人が2回・3回と続行するうちに、つき物が落ちたように穏やかになり離婚をして平穏な生活を回復することもあるのである。


6.法的手法を学ぼう。

 調停のスタッフはやはり裁判所の人材であるから、当然法的手続には明るい。質問をして調停委員がわからないことはきちんと調べてくれるし、事件毎の調停委員会には必ず審判官(裁判官)がはりついているのであるから、直に話を聞くこともできる。法的手法、考え方等を自分も勉強しながら,真摯に尋ねれば、丁寧に教えてくれるはずである。例えば、離婚に当たって、子どもの親権で争いになったらどうするか?財産分与はどんなことから始めるのか?慰謝料っていくら位?慰謝料はどんな場合にみとめられるの?子どもとの面会交流はどうするの?等々。そこで導かれる結論が自分の希望と違っても悲嘆することはない。方法は他にもいろいろあって、また勉強できるのである。


7.限界を知ること 聞く耳をもとう。

 法的手法を知ることは大事である。知らないことで損をすることは多いのだから。しかし、現実の生活は法的手法や規則だけで動いているのではない。世の中のお金や物には数の限りがある。人の感情も様々である。皆が同じ気持ちになるとは限らない。例えば、離婚に際してこれだけのお金がいるからといって元夫に金銭の請求をする妻がいる。家を出て、アパートを借りて、子どもを一人で育てる。それには引越し代、アパートを借りる費用、子どもの学費等々がかかる。それらは必要で、相当な金額かもしれない。しかし、肝心の夫の収入財産がそれを充当できる状態でないにもかかわらず(病気、失業による就労不能、不況による収入低下等により)、闇雲に離婚するのに経済的給付を当然のように要求できると思い込んでいる場合がある。夫には家庭を壊した原因があるのだからと一方的に攻め立てて、なんとしてでもお金を作り出せといわんばかりである。しかし、調停では裁判のように離婚原因の究明をして、責任の白黒をつけることはできない。調停は話し合いの場であるから一方の要求に対し、相手がこれを任意に認めて合意できると成立するが、双方の要求がいくら話し合いを重ねても、対立しこじれて歩み寄れないとお手上げで、これは調停の限界である。調停では、道理を説明したり、裁判をしたらこんな判断、結果がありうるとの話はできても、それ以上に、納得しない相手を強制的に押さえつけることはできない。離婚原因を徹底的に究明するには手間も費用もかかる裁判をする他ないのである。調停は支払能力の範囲を明らかにして、その範囲内で、あくまで任意にパイを分け合う交渉をするところと思い定めてほしい。まず調停を利用するには、調停の限界を知って、自分の要求、相手の状態を自分でよく見極めることが重要である。


8.自分も譲歩し、相手の譲歩を引き出す。

 「話し合いができないから調停に行くのであり、話し合いばかりを強調するなら調停の意味があるのか」と言われそうだが、第三者を介入させて、裁判所という場所で行うという点で、かなりの効果が出ることもある。時間的、場所的環境が人に冷静さと客観的判断能力を回復させるのかもしれない。そこで更に調停の限界を知って、自分の置かれている問題状況をより明解にわかってくれば、おのずと次の一手が導き出されるのである。押すべきところと、引いてもいいところ、その点が正確に認識できれば、調停を本当に有効活用できるのである。「そんなこと当たり前」と思われるかもしれない。しかし人間は自分のことを意外とわかっていないものである。離婚に直面するまで、自分の家計状況、収入がどうで、支出に何があるのか、蓄えがどのくらいあるのか、さらに家族の気持ちがどうなのかなど、分からず考えもせず生活していることが多いものである。「調停にでて、じっくり見つめなおすことができた。相手ばかりを責めてもしかたがない、自分のこういった点が問題なのだと気づくことができた。」と思うことができれば、結果がどうでようと、調停をした意味は大きいのである。話のなかで、自分の非を認めたり、相手への感謝や労苦を労わる言葉がでるようになると、話し合いは飛躍的に進行し、互譲が出てくる地盤が形成されるのである。


9.調停委員を味方につけよう。

 調停の社会的評判はお世辞にもいいとは言えない。「調停に行っても何の解決にもならなかった」、「調停委員は相手の肩ばかり持って、自分には不利だった」など、厳しい批判にさらされている。確かに力不足の点もあろう。調停の限界を超える複雑で困難な問題も多いだろう。しかし、あえて個人的見解を言わせてもらえば、調停委員の人々は押しなべて、真摯に丁寧に事案に接している。新しい法制の研修も盛んになされているし、心構え、あるべき態度等に関しても協議等を重ねている。これらは当たり前であるが、当事者に接する公平な態度については細心の注意を肝に銘じている。人間だからいろいろな人がいて、温度差があるのは否めない。年配者が多いので癖がある人もいる。しかしざっくばらんに話しかけてほしい。きっと心を開いて話ができるはずである。自分のことをわかってもらう努力と同時に、相手の話もじっくり聞いて理解する努力をすれば、必ず共通の理解が生まれるはずである。


10.勝った、負けたではなく互いに幸せになろう!

 ここまで来ると繰り返しになるが、調停を利用するには自ら胸襟を開いて、相手の言い分を聞きながら自分の話をしてほしい。 調停は何か特効薬が置いてある、ばら色の解決場所ではない。むしろ自分を厳しく見つめ直し、内省するところから始まる。最初は「自分が、自分が」という考え方を批判されることに戸惑うかもしれない。しかしそれを理解し乗り越えたなら、新しい自分を見つけられるであろう。互いに幸せを掴むため、そんなふうに調停を利用してもらいたい。

 

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