離婚調停に関する私見

 夫婦関係調整の調停には二つの方向がある。ひとつは離婚であり、もうひとつは円満調整である。後者には別居及び婚姻費用の調整、また離婚とは切り離された養育費の変更、面接交渉等の調整があるが、円満という語感から期待される明るい印象とは裏腹に、悩ましくやりきれなさが滲むやりとりとなる。双方の気持ちが平行線をたどり、そこに人間性も見え隠れして心が反目する場合などは、離婚を推し進める場合よりずっと気持ちが疲弊する。
 他方、離婚についてはいくつかの決め事があり、この諸要素を粛々と解決していけば結論に達する。精神的要素として「離婚の合意」と「親権の確定」があり、経済的要素として「養育費」、「財産分与」、「慰謝料」問題がある。調停は基本的に、当事者間の協議、合意で成立するものなので、裁判と異なり、「離婚原因の究明」や「責任追求」は主眼とならない。仮に経済的な要求を一切捨象し、ひたすら離婚だけを求めるなら、「離婚合意」と「親権の確定」だけで調停離婚ができるのである。親権問題は未成年の子がいなければ問題外であるし、例えばDV(ドメスティック・バイオレンス)やモラ・ハラ(モラル・ハラスメント)などの難問の原因が絡んでいても、妻が「お金は要らないから今、直ぐにでも離婚したい」という場合などは、夫にとっても経済的負担はないし、対面上「裁判」にしたくないなどの意図があれば、双方の思惑が「離婚」の一点で一致し比較的容易に合意にもちこめる場合もある。離婚原因を問題視するのであれば訴訟を選択すればよいのであり、そうでなければ、当事者間において諸事情から早期の離婚という結論を得るための一つの選択肢として調停も存在意義が高いのである。調停まで来るからには協議できなかったのであるから、相当にこじれているケースが多い。しかし、幸運にも調停という場を借りて合意ができれば離婚調停は成立する。合意するなら何もここまでこなくてもいいのにとも思うが、実際に携ってみると裁判所を通した調停の必要性もみえてくる。
 例えば熟年離婚で妻が夫に愛想をつかして離婚を申し入れた場合など、夫の反応としては、熟年になればなるほど即座には納得できない。まず現状の認識に時間がかかる。更にそれを自分に納得させるには、心の葛藤がおこる。妻はもう戻ってこないのだということが、頭では認識できても、心が納得しないのである。「妻は年をとっていても世間知らずだ。こんな年になってから、一人になって仕事をして生活していけるはずがない。それをわからせてやってください。第三者から妻に常識を説教してほしい。」と調停委員に頼むのだ。一方妻側は代理人を立て鉄壁の陣容で臨んでいる。ここで肝心なのは、妻の意思は石よりも固いという現実である。離婚原因はあろう。しかしどちらに非が大きいのかは定かではない。そんな状況下では、責任の白黒をつけようとしたり、相手を説得したり、延々と責めたりしても問題の解決には役立たない。むしろ、妻の意思を受け入れ、現状を納得することにより、将来が開けるのである。納得するには適度な時間をかける調停が最も適している。いきなり相手とぶつかり争う裁判をしてもにわかには受け入れがたいし、また当事者間で対峙しているだけでは冷静になれない。調停というワンクッションは現状や、心境をじっくり見極めるのに思いのほか効果的である。
しかし反面、破綻主義が徹底しておらず、単独親権に限定される日本の事情下では、離婚合意や親権確定が容易でない事例も多く、調停の限界も否めないのが実情である。一筋縄ではいかないことばかりである。


 調停はあくまで話合いであるから、「離婚の合意」がなければそもそもスタートラインに立てない。財産や子どものことを話したくても、離婚合意が得られそうもなければ、結局調停は意味を成さないので、離婚調停自体を始められないのである。破綻主義が徹底していない日本の場合、たとえ破綻事情があっても、相手が拒絶する限り、手間隙と費用をかけて裁判しなければならず、裁判をしても明確な離婚原因がないとこじれるケースが多い。さらに「親権の対立」が激しいケースもある。日本の場合、離婚後は単独親権であるから、これが決まらないと離婚は成立しない。他の要因について話し合いがまとまっても、親権者が限定されないとダメなのである。しかもこの問題は、夫婦間だけでなく子どもも巻き込んで熾烈な争いに発展しかねない。この両者どちらも心模様、気持ちの問題であり、これこそ本当に厄介な問題である。「養育費」、「財産分与」、「慰謝料」等経済的な問題はもちろん大事な問題でありあだやおろそかにはできない。また利害対立が激しく、不相当な金額要求に固執する人も多い。しかし金額については一般的基準もあり、判例の集積によってある程度の相場感もあり、時間をかければそれなりの決着が見えてくることも多い。つまり時間の問題ともいえる。この対比からすると心模様の問題は辛らつで奥が深いといえる。


 経済要素である「婚姻費用」は、まだ離婚前の別居中などの妻子の生活費用であり、「養育費」は離婚後の子どもの成育費用をいう。従い厳密には内容が異なり、金額基準も異なるが、実際には配偶者間での収入の多い方が少ない方に対して行う生活援助がその内実となっている。そして離婚に際し、財産分与なり、離婚解決金名目の金銭授受があり生活支援がそれに加味されるのであれば、調停では養育費についても全体のバランスから考慮することになっている。今日では一般に良く知られている算定表がおおいに用いられている。子を引き取って育てている養育費等をもらう側の年収を横軸とし、養育費等を支払う側の年収を縦軸として、交差させることにより養育費等の金額を簡単に算定できる表である。子どもの人数、または子どもの年齢により異なる数値が得られるようになっている。以前の基礎収入を算出しそれに算定式を当てはめて額を計算していたのに比べ数段簡便である。しかしあくまで一応の基準であり、具体的に全てが当てはまるわけではない。事件毎の臨機応変さや柔軟性が大事である。
 「財産分与」についてはその意味合いがいろいろある。夫婦財産関係の清算を要素とするもの、離婚後の扶養を意味するもの、有責配偶者への制裁を含むもの、生前相続的要素を含むもの、これらの複合体の場合などの性質がある。清算であれは基本的に、婚姻期間が長ければ夫婦間の寄与は2分の1である。専業主婦も最近は2分の1が基準である。夫が高額収入所得者で専業主婦の割合が2分の1とすんなり認められるかはケースバイケースで種々の要素を加味した判断となるであろう。ただ財産分与では、当該財産が夫婦の共有財産か一方固有の特有財産かが争われることも多く、これをめぐって熾烈な争いとなることもある。一方の遺産が混在している場合などはその部分は当然分与財産からは控除される。しかし多くの場合調停の調査能力は限界があるので財産の確定は難しいところである。最近の世相を現すものとして、ペットの分割という問題もある。子どもの親権を争うような格好で、ペットの所有権というか、養育権をめぐって両者一歩もひかないということも出てくる。ペットが心の支えになっており、精神的な重要性が高くなっており、たかがペットと軽んじられない問題となっている場合もある。
 「慰謝料」については、これは精神的苦痛に対する損害賠償であり有責配偶者に対する制裁を意味するものである、行為類型としては不貞、虐待、遺棄、破廉恥行為等であり行為の程度、回数、期間等が考慮される。しかし、加害者の経済状態によっては実効性がない場合もある。せっかく決めても支払われる現実性がなくては意味がない。調停では実効性があるかないかということも非常に考慮される点でもある。また調停の性質上、当事者間の合意で話を調整するものなので、裁判のように相手側の非を積極的に攻め立てて責任を明確化しようとする姿勢はなるべく抑えるように方向づけられる。金銭の支払についても、慰謝料と定義づけずに離婚解決金名目でオブラートにくるんで決められることが多い。(「法学セミナー」2010年7月号より一部転載)

 

このページの上へ

コラム目次へ