身近な社会問題と違和感

 大阪市が全職員に対し刺青の調査を実施し、該当者に対し何らかの処分等を検討中だという。おそらく、全国的に入浴施設の多くが刺青やタトゥーを施した人に対する利用制限をしているのではなかろうか。刺青が反社会的・暴力的組織集団と密接に繋がるために、大阪市や入浴施設の対応は至極最もなことかもしれない。昨年施行された暴力団排除条例にも適合する動きだ。また、日本の現状では刺青等に対する嫌悪感を持つ人たちも多く、それが世論の大勢かもしれない。しかし、ファッションとしてのタトゥーや刺青は、どうだろう。「どうだろう。」という言い方が少しあいまいならば、ズバリ端的に、その規制は過剰であり、人権侵害のおそれがないだろうか。私も、もろ肌脱いだ金さんの格好の良さは認めるが、腕や首にグデグデでと塗りたぐったような刺青やタトゥーには、かなりの抵抗感を持っている。ぜんぜん格好良くない、みっともない、そんな印象が強い。しかし、である。嫌だから規制し、社会や公共の場所からそれらの人たちを放擲して良いのだろうか。それこそ人権、民主主義の悩ましいところではなかろうか。最近は、アメリカ大リーグの野球中継も盛んだが、そのなかでアメリカでは一流のスポーツ選手にも一般の市民にもファション感覚のタトゥーはよく見かける光景である。国柄や事情は勿論異なるが、基本的人権を規制しうる唯一の故郷が「公共の福祉」なれば、規制のあり方、限度も慎重に考慮しなければなるまい。タトゥーに限らず、ド派手な金髪は? 男のピアスはどうか? 鼻ピアス、ぴかぴかのネイルアートなどなど、・・・が市役所の窓口にいたらどうか、などと考え出すときりがない。思うに民主主義は、ある意味、寛容のシステムである。多数決で負けた少数派は多数派に寛容でなければならないし、多数派は少数派の主義主張にも配慮し、その人権に寛容でなければならない。嫌だ、自分とは違うから、排除するでは、真の民主主義は成り立たない。おおげさに言えば、自分とは違う人たちの意見、世界観、人生観、さらには宇宙観をちょっと知ってみることも、本当は必要なのではないか。規制の前に、やるべきことのプロセスを省略して、十把一からげの規制をしてよしとする社会についてなにか抵抗感、違和感を持つのは、私だけではないと思う。
 違和感について考えていると,緊急の相談がはいった。家賃を滞納しているが、「出てけ、出てけ」でノイローゼになっているので助けて欲しい、というもの。最近問題のいわゆる「追い出し屋」である。近頃は住宅の賃貸借契約をするため、賃借人は保証人を差し入れる代わりに、保証委託料を支払い保証会社に連帯保証人になってもらうシステムが多いのであるが、この保証会社が悪質化しいわゆる「追い出し屋」となる傾向がある。確かに家賃の滞納は問題である。家主の側からいえば、滞納家賃の回収は事実上容易ではなく、明け渡しに相当な費用と手間がかかる実情は否めない。しかし、一方家を失う者のダメージは計り知れない。突然の解雇、給料の激減、就職が決まらないなどのために家賃が払えず、家を失い、ネットカフェとファーストフード店と友人宅を転々とするなどの深刻化する住まいの貧困が社会現象となっているが、このような中で家賃を滞納せざるを得なかった時、わずかな期間の滞納を盾に、追い出し屋が出てきて、借主の留守中に部屋の鍵を変えて居室に出入りできなくしたり、連日「出てけ、出てけ」とわめくなど威圧したりして強引に追い出しを図るという。しかも保証会社は毎月家賃の半額にものぼる、保証委託料を取っているのでありこのようなビジネスモデルが跋扈している社会に対しては違和感どころか不快感をおさえられない。問題は居住権を侵害する違法な追い出しの点に止まらず、セーフテイネット行政の不備など国や地方自治体の社会政策の問題にまで広がるが、一方先の相談事例は保証会社が押し寄せて大変な騒ぎであったが直接家主と話して家賃とは別に延滞分を毎月1万円ずつ支払うことで何とか決着してもらった。私たちはこうした混沌とした社会のなかで身近な問題の一助となる仕事に携わっていきたいと考えている。(「法学セミナー」 2012年9月号 より一部転載)

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