ちょっと気になるお国事情 〜 フランスの場合

 このごろ、離婚調停において大変だと思うことが2点に絞られてきた。
 一つは、離婚原因の問題とかかわりの深い、離婚の合意の点つまり離婚合意が得られないケースである。調停はあくまで話合いであるから、離婚の合意がなければそもそもスタートラインに立てない。財産や子どものことを話したくても、離婚合意が得られそうもなければ、結局調停は意味を成さないので離婚調停自体を始められないのである。
 破綻主義が徹底していない日本の場合、破綻事情があっても相手が拒絶する限り、手間隙、費用をかけて裁判しなければならず、裁判をしても、明確な離婚原因がないとこじれるケースが多い。
 二つ目は親権の対立が激しいケースである。日本の場合、離婚後は単独親権であるから、これが決まらないと離婚は成立しない。他の要因について話し合いがまとまっても、親権者が限定されないとダメなのである。しかもこの問題は、夫婦間だけでなく子どもも巻き込んで熾烈な争いに発展しかねない。この両者どちらも心模様、気持ちの問題であり、これこそ本当に厄介な問題である。養育費、財産分与、慰謝料等経済的な問題はもちろん大事な問題であり、あだやおろそかにはできない。また利害対立が激しく、不相当な金額要求に固執する人も多い。しかし、金額については一般的基準もあり、判例の集積によってある程度の相場感もあり、時間をかければそれなりの決着は見えてくることが多い。つまり時間の問題ともいえる。この対比からすると前者の心模様の問題は深刻である。


 これらを考えるにあたって、フランスの事情が参考になると思われる。離婚件数の増加は日本に限らず世界的兆候であり、フランスとて例外ではない。ただ1990年代以降の数字だけを見ると、フランスは横ばいで著しい増加はない。面白いことに、フランスは今日本で最も深刻化している少子化率もピークを過ぎ改善されつつあり、種々の問題現象について少し先を行く国として、注目されるのである。但しフランスの離婚数が増えていないと言っても、実情を見るとフランスは非婚化が進んでいるので数だけで物事は図れない。更に非婚化つまり法律上の婚姻は少ないが、フランスというお国柄は強力なカップル社会で、シングル(独身者)は社会的に肩身が狭く実際カップルが多い。さらに出生率もふえている。日本流に考え現象だけ捉えると複雑で矛盾が混合しているようにも見えるが・・・。
 読みかじりであるがフランスの離婚手続の特徴は次のとおりである。離婚をするには、合意があっても法的には裁判手続が必要となるが、逆に合意がなくても、有責配偶者からの請求でも一定の別居期間(2年間)の経過により離婚自体は可能となる(破綻主義)。破綻事実が離婚理由として独立して認められる。更に親権は離婚後も共同親権であり、離婚後の親権行使を円滑に進めるために調停手続がある。面接交渉も日本と異なり義務であり、裁判手続における相談プログラムには精神科医、臨床心理士のカウンセリングも用意され公的扶助がついている。民間の家庭問題相談窓口(EPE)も充実しており、児童虐待、家庭内暴力、アルコール中毒、思春期問題、妊娠、HIV、モラハラに関する無料相談もなされている。更に養育費等の給付金支払の拒否に対する制裁も日本の差押より重い拘留があり、財産分与請求権も日本のような3年間の除斥期間は認められないなどの違いがある。
 カトリック教義の国でありながら、離婚法制については破綻主義を取り、仕組みとしての離婚を容易にしている国はフランスに限らない。気持ちの面で修復がつかない人間関係なら、比較的容易に離婚を認め、法的手続きとしてはむしろ離婚後の状況への関わりを深め、ケア体制の充実に力点をおこうとしているように思われる。これは非常に現実的であり、むしろ人間の気持ちや心に優しく寄り添うやり方ではないかと思う。もちろん結婚したら、なるべくなら添い遂げたいものである。離婚は膨大なエネルギーを使うし、経済的・精神的打撃は計り知れない。良いパートナーに恵まれ離婚せずに送れる人生は幸福だと思う。しかし人間は間違える動物である。評価を間違えたり、選択を誤ったり、思い違いをしたり。大事な結婚相手であっても、若気の至りもあるし、見落としや思い違いもありうる。その時に誤りを直せるのも人間である。人間関係の破綻が明白で、修復がきかない状況ならそれを正しく認識し、その始末(離婚)を早急につけることこそが肝要である。いたずらに関係を引き伸ばすばかりが策ではない。
 次に問題となるのは、誤りに気がついた時に、即座に軌道修正する仕組みが用意されているかである。解消のための手続が困難であれば、それだけ手間がかかり、人が受ける傷は大きくなる。つまり離婚手続の柔軟度の問題である。


 日本では、破綻事情があっても相手の強い拒絶があると離婚が難しくなる。又親権も片親に限定しないと離婚できない。親権の限定は離婚にとっての障壁だけでなく、親権の限定を受ける子どもたちにとっても過酷な影響を与える。本来離婚しても、子どもにとってはどちらも親であり、それを親の都合でどちらか一方に限定されたり、また子どもにどちらかを選ぶことを余儀なくしている現状は痛ましいとしか言いようがない。子どもの養育は両方の親の責任であり、親権は親の権利でもあるとしたら、親権を片方に限定する仕組みに合理性があるのだろうか。そういう意味で日本の仕組みは硬直的で、本来人が使う制度に、人が縛られているように感じられる。これに対しフランスの仕組みは、私も全部を見たわけではないので大きなことは言えないが、少なくとも破綻主義と親権問題については大きな示唆を含んでいると思われる。フランスの仕組みは離婚を人生の再生への足がかりとして、破綻を離婚原因と評価するものであり、親権問題も限定することではなく、離婚後の共同親権の行使の仕方という実質的問題に焦点を置いている。


 このようなフランスにおける仕組みの背景には非婚化(結婚制度の見直し)という人間関係のあり方の社会現象とそれらに対する国民の感受性、いわばお国柄が大きくかかわっているのではないかと考えられる。
 カップルのうち20%近くが非婚であり、新生児の40%が婚外子である統計にも驚かされるが、その内実はもっと驚くべきものである。事実婚・非婚カップルは、自由な結びつきのカップルとして、日本風の「同棲」に近いもの、更に日本の「内縁関係」に近いが、日本よりずっと社会的にも法律的にも認知された形態などがある。これらはどちらも社会保障の面で配偶者と同様に、保険適用が受けられるし家族給付も認められる。親子関係を示す家族手帳もあり、更に1999年には同居非婚カップル及び同性愛者カップルに法律的婚姻者と法制上同等の権利を与える目的の市民連帯契約法(PACS)が作られた。更には同居はしないが、シングルとは異なり単なる一人暮らしではなく恋愛関係にあるパートナーを持つカップルとして、「ソロ」という形態も増えている。これは男女のあり方として相手との距離感を重視し、相手への従属・妥協よりも相互の「個」の自立と自由に重点を置いた上で、カップル関係を継続していくことに主眼を置くものである。そしてフランスはこのような変化する社会現象、生の現状をむやみに排斥するのではなく、分析し、受け入れて、合理性を高めて自分達の中に取り組んでいく柔軟性があるのである。とても現実的で、建前と本音を区別するどこかの国民性より、実質的に人間の本質に優しいあり方ではないかと思う。有名な作家が日本は恋愛後進国と言っていたが、確かに人間関係の築き方が硬くて融通が利かない面があると思う。最近、老人力とか、鈍感力といった言葉が使われるが、几帳面な日本人にはこういったものの考え方も必要であると納得させられる。


 ちょっと横道にそれるが、成功例といわれるフランスの少子化対策の要因に「子どもを持つ世帯に対する経済的支援が厚い」という点があげられる。しかしポイントは単なる経済的要因だけではない。具体的に言えばベビーシッター制度の充実をひとつあげてもワーキングマザーが仕事と子育てを両立しやすい環境が経済的にも精神的にも普及していることが挙げられる。フランスの充実した家族給付制度は短絡的人口政策としての出生促進策ではなく、子どもを持つという選択が、子どもを持たないという選択に比べて不利にならないよう、所得再分配効果を念頭に入れた施策といわれる所以である。もうひとつ付け加えれば婚外子(非嫡出子)に関する取り扱いも日本とは大きく異なる。フランスでは婚外子と婚内子が同一の権利義務を有するとして、財産相続その他で差別を受けないことが法律で規定されたのは1972年のことである。今から35年も前のことである。両親が法的結婚をしていようがいまいが、父親が認知していれば、子どもの法的地位が変わらないということは、結婚の減少が出生率に影響しないということを示すだけでなく、子どもの側からすれば生まれながらの差別を廃して、どんな子どもにも平等な人権を享有する機会をあたえる第一歩なのではなかろうか。このように見てくると、日本で当たり前のように考えられている事柄にもじっくりと考え直してみるべきものがたくさんあるように思う。


 ・・・・・・最近こんな新聞記事があった。選択的夫婦別姓をめぐる内閣府の世論調査の動向で、別姓反対派が増えたとか、更に非嫡出子に関する相続分の不利益扱いをする現行制度についても変更反対論が多かったという報告(H19.1.28(日))である。多くの要因があろうし一概には言えないが、この結果に違和感を覚えたのは私だけであろうか?・・・・・・     

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